洗練された求人
「アイディアで勝負でき、頭をひねって考える課題」を、よいチャレンジだと感じている。
学問上の理解を深めるに留まらず、知的好奇心が刺激され、学問の間口が広がり、やる気につながる。
何よりもM里江が語っているように、「自分で問題を見つけて解決することの楽しさ」でやる気が出る。
やる気は往々にして担当教員への信頼となり、さらに学ぶ気を起こさせるよい循環になってゆく。
厳しくはあっても、学生に対してケアの行き届いた授業科目に学生がどう反応しているかを知った時、教員の熱意と愛情があれば彼らがそれに応えるものだということがわかる。
S理菜の証言は、本来、人間は学ぶ欲求を持ち、自分の能力を伸ばそうとする力を持っているものだと感じさせる。
彼女のクラスを担当した教員は、1般に、H雄として知られているキング牧師を支えていたのは誰か、本当のH雄は誰かということを話した。
教員が語った視点は学生たちにとっては初めての視点であり、新鮮だった。
歴史を勉強することの奥深さ、政治的な観点を持って歴史を学ぶことの大切さを学生は自分で気づいた。
毎週レポートを書くというR2、わかるまで小テストを再提出するというかなえの受けている授業、それらを丹念にコメントする教員の時間と努力によって学生が嬉々として学んでいる。
学生たちは、本当はこうしてしっかり勉強することが好きなのだ。
大教室で屯授業中質問したい1人前での発言と自信力との関係 調査で驚いたことは、93名インタビューした内で、6人の学生が大教室でも授業中、質問の機会がほしいと語ったことである。
礼緒が「大教室では〈質問ありますか?〉は外交辞令に過ぎない」と不満を述べているように、大教室では学生は質問や発言はしないものという〈常識〉が暗黙の内に大学では存在している。
彼はそのことに異議を申し立てている。
わからないその時にその場で聞いてわかればいいのにという思いからである。
美咲のように「授業中に質問をできないと、わからないままにして授業を受ける癖がついてしまう」と考える学生もいる。
「授業中に納得できたものは記憶に残る」「わからないその場で聞けると、すぐ身につく、身になる」は、重要なポイントだ。
学生たちの中には意識的に発言を心がけている者がいる。
もともと発言することが苦手だ。
だからこそ発言の機会が多く与えられる授業を選び、自分を〈追い込んで〉まで発言しようとしている。
人に伝えるものがなければ、せっかく発言しようとしても結局黙ることになる。
だからさおりは、人に伝えるものをしっかり準備してゆくと言っている。
人前で物怖じせずに発言する人の自信力は高い、と1般に信じられているが、実際にそのような傾向があることが筆者の首都圏大学生の調査結果からもわかった。
「授業中の発言頻度」と自信力の高低は明白な相関があった。
1回の授業で自発的に発言した回数が多くなればなるほど、自信力も上がっている。
だが日本の子どもたちは親から「勉強しなさい」と、くどいほど言い聞かされるが、「授業中に発言するように」という励ましはほとんど受けていない。
その点における日本と諸外国の相違は実に大きい。
発言に限らず、自信を高めるための励ましやトレーニングが、日本ではほとんどなされていない。
筆者はストックホルムとニューヨークの中学校で1年間教室観察を行ったが、教員は(家庭では親が)子どもたちが自信をつけるよう、また自分に誇りを持つよう折に触れて励ます。
「はきはきせよ」「先生に疑問をぶつけよ」「群れるな」と教えている。
だから子どもたちは大人社会にはそのような価値観があるのだと知る。
また大人のそうしたアドバイスに耳を傾け努力をする子どもが出てくる。
ひるがえって日本はどうだろうか。
東京都のある中学校で教室観察をした際、1人の教員が以下のように筆者に語った。
自立している子、はきはきと意見を言える子にクラスの子どもたちは1目おくが、自分たちのグループの中に入れようとは思わない。
自己表現をし、自立している子どもは煙たい存在として見られていて、しっかり発言する訓練、自立する訓練を子ども同士でだめにしてしまう例がしばしばある。
1人だけ突出して発言することを怖れ、しっかり発言する訓練を自分たちで潰しているということである。
つまりみんなで黙っているという結果に落ち着くのだ。
残念ながら大学も基本的にはこの延長線上にある。
大教室で質問したいとインタビューで語った6人の学生たちといえども、1度も実際には大教室で発言していないという。
大教室では質問しないことが前提となっている雰囲気の中では、いかにやる気のある彼らであっても、その前提に抗し切れないからだ。
1人だけ突出することは勇気を要することだ。
目立つ行為をすることによって「打たれる」ことがあるからだ。
日本人に限らず、どこの国の国民であれ同じだ。
「日本社会は出る杭を打つ文化がある」と我々はよく口にするが、「出る杭は打たれる」はもともと英語のことわざではないのか。
人より突出した言動をして、「打たれる」ことを心配するのは、文化の違いを超えて存在する。
ごく自然なことだ。
そこから先が、日本とアメリカでは違う。
「打たれる」ことを怖れて黙っている・何もしないでいると、アメリカでは相手にされなくなるのだ。
「打たれる」ことに勇気を持って立ち向かい、そのようにして自信を構築していくことに、アメリカ社会は価値を置いているからだ。
欧米人は「はきはきと物を言う」「自己主張をしっかりする」と日本人は言うが、もちろん欧米人の中にも〈ウジウジした〉人はたくさんいる。
はきはきしている人もたくさんいる。
はきはきと自分の意見や主張をする人々は、人前で自分の意見を言うことに価値を置き、自らを訓練してきたのだろう。
しばしば言及されるように、アメリカでは子どもたちに自信を持たせるために小学校から人前でスピーチをする訓練をし、議論やディベート(ある問題―多くは社会問題に対して賛成・反対の立場をあらかじめはっきりさせて論争し、勝ち負けを決める)を学校教育の中に取り入れている。
仮にアメリカ人に自分の意見をしっかり言える人が多いとすれば、訓練のたまものなのだ。
また自信を持って人生を歩きたいという意志の表れだ。
首都圏の大学生たちは今まさにそのような意志を持っている。
そのような意志を持ちながら、現実には授業中〈様子見〉をしたり、みんなで黙っていたりする結果に終わることが多い。
また質問したいと思っても、つい人目と〈常識〉に鑑み質問することを抑制してしまう。
彼らが「1歩」を踏み出せるように教員のサポートが要るだろう。
「教員ともっと接触したい」「学生参加型授業がいい」「学生同士の連帯が生まれる授業がいい」「やりがいのある課題がほしい」「大教室でも授業中質問したい」という彼らの要求は、筆者が今まで見てきたように、自信力を高める観点からも、有効であることがわかった。
教員は授業中の発言や大教室での質問をもっと促し歓迎することはもちろん、授業の形態に関しても彼らの要求に添うよう、さらに工夫を重ねてゆく必要があろう。
何よりも学生の自信を、授業を通しても構築してゆく必要性を、教員のみならず学生ともども意識化してゆく必要がある。
自分の意見をしっかり言える子どもに育てようと努力している国がある。
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